NHKラジオスペイン語講座2003年2月号 掲載 VIVA MEXICO !
2008年 12月 21日
海外諸国で公衆のトイレを利用する時、衛生状態のひどさに日本のトイレが恋しくてため息が出ることもある。メキシコのトイレ事情もまだ革新的とは言い難く(2003年の状況です)、ウオシュレットや自動洗浄は夢物語のようだ。
メキシコのトイレの個室ドアは、アメリカのようにドアの下に足が見えるタイプが多く、しかも紙の値段が高いため、有料トイレに入っても紙がないことがよくある。その上水不足に悩まされるメキシコ市ではトイレ便器の水量が少ないために詰まりやすく、公衆トイレでは使った紙は便器に流さず屑かごに入れることが一般的である。だから初めて行く場所では設置された屑かごの大きさで、使った紙はながすのか、それとも屑かごに入れるのか判断しなければならない(このあたり、2008年の中国と同じ)。
水不足が深刻なため、湯船に入る習慣はなく、寒い冬もシャワーに浴びるだけ。そのシャワーも断水で使えないことがよくある。かといって雨がまったく降らないかというとそうではなく、雨季の大雨の際には道路はいつも洪水してしまう。大雨に備えて排水溝はたくさん用意してあるのだが、ペットボトルなど道路に捨てられたゴミのために水が排水溝に流れていかないのだ(中国の場合衛生観念はもっとひどいが、清掃婦が街中をきれいに清掃して回るので町中にゴミはない)。
少し前に政府広告のテレビCMでこんなのがあった。道端で女性が二人立ち話をしている。と急に雨が降り出すが排水溝の入り口は流れてきたゴミで塞がってしまう。それを見た二人の会話だ。
「見てよ。いやねえ、ゴミが詰まって水が流れて行かないわ」
「ゴミが多いのはしょうがないわよ。私たちの人口多いんですもの。」
「私たちはゴミを捨てる人の数も多いけど、拾える人の数も多いわ。拾いましょうよ」
と二人でゴミを拾いだす内容だ。
私はこのCMが大好きだ。だらしない自分たちの性格を認め、言い訳しながらもそれを改善しようとする。いかにもメキシコっぽい明るさに満ちていると思う。
メキシコの道路や公共の場にはたいていゴミが捨ててある。
アステカ時代の刑罰に関する古文書の中に「親の言うことを聞かない子供には、家の前の通りを掃かせる」というのがあって、古文書の中には泣く泣く掃除をする子供の姿が描かれている。掃除をすることが刑罰になりえるほど元来掃除が嫌いな民族であるのか、それとも単に公衆道徳が遅れているためなのか。道路にゴミを捨てることを悪いと思わないメキシコ人が本当にたくさんいる(それでものちに行った中国よりは少ないが)。
この国では、中流程度でも住み込みの家政婦を雇う家が多く、子供のころから部屋の掃除や学校の教室の掃除は「自分以外の誰かがすること」と思って育つ人が多い。そんな彼らは「道路にゴミを捨ててはいけない」ことくらいは理解できて「道路に捨ててあるゴミを自分が拾う」ということは想像できないのかもしれない。
メキシコの義務教育は小・中学校の10年間だが、実際には小学校も卒業していない人が大勢いる。農業を営む家庭が、労働力として子供を手放したがらないことが原因だが、その後学校を卒業しないで就ける仕事となるとやはり農業や労働職となる。そうすると収入が少ないために、やはり子供にも働かせる悪循環ができてしまう。
この悪循環に頭を痛めた政府は、子どもに義務教育を卒業させた親に少額ではあるがお金が配布される制度を作ったが、それでも卒業までの就業率は上がっていない。
メキシコ市を散策していると、よくデモ活動に出くわす。
中央広場ソカロでは何かしらの運動のテントがあるし、デモ行進も非常に多い最近では(2003年当時です)、メキシコ自治大学UNAMの学生が大学が授業料を取ることに反対した運動(信じられないことだがこの大学の学費は“志”のみとなっている。貧しい人にも教育の環境をめざした結果だ)のために、1年間も大学が封鎖される事態となった。
よくみかけるデモは農業労働者・教師・秘書による賃金値上げ運動で、なかには警察官によるデモもあった。
治安の悪いメキシコでは金目当ての強盗や誘拐はよくあることだ。犯罪の中でも許せないのが臓器売買を目的とした子供や赤ん坊の誘拐で、裕福な外国人に角膜や腎臓、はては心臓までもが売られているという(ある日本人女性がメキシコ市で誘拐され、1ヵ月後に戻ってきたときには腎臓が一つなくなっていたということだ!)。
実際に年間数十人の子供が行方不明になる。だから親は子供と外出をする際には子供の腰にひもをくくり付け、決して子供から体を離さない。学校へ登校するのも友達の家へ遊びに行くのも親が送り迎えする。
問題点ばかりを書いてしまったが、光あふれるメキシコの影はその分濃い、ということだろうか。
2月号の表紙:「青いタイルの家」
中央広場ソカロ付近には古い建物がいくつもあって、この場所もその一つ。中世の貴族の家がそのままレストランとして使われている。