11「モンゴル民族について」
2008年 12月 21日
中国にはさまざまな民族が住んでいる。
中国語を日常語とする漢民族はもちろんのこと、民族の間では中国を話さなないモンゴル民族、ウイグル族、チベット族など実にさまざまな民族が住んでおり、各自治区内では道路や看板の標識が中国語とモンゴル語といったように二重言語で表示されている。
私が住む内モンゴルアラシャン左旗は、モンゴル民族の人口に占める割合は1割にしか満たないが、比較的モンゴル人が多い地域として知られている。街角でモンゴル語を話している人をよく見かけるが、しかしながら職場(漢民族中心)でモンゴル語を話せる人はほとんどいない。
12月に北京で隊員総会があり、内モンゴルの隊員全員でモンゴル語の歌を歌った。私自身モンゴル語はまったく話せないが、それでもそのモンゴル語の歌はたいへん気に入って、一生懸命覚えた。その時フフホトの隊員が馬頭琴で伴奏をしてくれた。「馬頭琴ってこんなに音がきれいな楽器だったんだ!」とその時思い、またモンゴル文化への関心も手伝って、私も馬頭琴を思い切って買った。1860元、日本円に直しても3万円ちょっとで、中国人の一月分の給料くらいだから、けして安い買い物ではない。
そして知人に馬頭琴の先生を紹介してもらった。先生の名前はバットチョロー先生、27歳、背が高くて長髪のハンサムなモンゴル人である。バットチョロー先生は私に対しては中国語で話してくれるが、先生と他の学生たちはみなモンゴル民族なので、会話はモンゴル語で内容はまったくわからない。それでも穏やかに話されるモンゴル語の発音は情緒があって、なじみやすい感じがする。
モンゴル人は総じて芸術関係にとても秀でている。
私の配属先は漢民族の学校だけど、音楽美術ともにモンゴル人の先生だ。モンゴル人は歌と踊り、特に歌はすばらしい。そしてモンゴル人の有名なカメラマンもたくさんいる。
モンゴル共和国では、ソビエト時代にキリル文字の使用を強制されて、文字の中でも特に古い部類に入るモンゴル文字はこうして本国から消滅した。
しかしモンゴル文字はここ中国内モンゴル自治区では今も使われている。サンスクリット文字を原型にするチベット文字や満州文字にも似ているけれど、角ばったところがなく印象は柔らかい。まるで風にそよぐ草のようにも、敬虔な仏教教徒が写す経典のようにも見える(モンゴル人は総じてチベット仏教を信仰している)。
なぜモンゴル人が芸術に長けているのかは知らない。
草原をそよぐ風が、彼らに歌を教えたのかもしれない。
あるいは厳しい遊牧の生活が、寒く長い夜が、芸術なしでは生きられないように彼らを育てるのかもしれない。情緒あふれる彼らが生み出したものには、文字にも歌にも楽器にも、芸術の神がついているようだ。
馬頭琴を通じてモンゴル民族と接点を持てるようになってよかったと思う。中国の一面をまた見ることができた。
写真はモンゴル式で進酒をうける私。相手に歌ってもらった場合はかならずお酒を飲み干さなければならない。