パワースポット
2010年 04月 25日
そういえば國魂神社に行った時、昨年夏ごろからやたらと「亀石」「鶴石」を写メで取ったり撫でている人が目につくようになり、違和感を覚えていた。そういうことだったのか・・。
パワースポット。「霊的エネルギーの高い場所」「磁場の高いところ」「風水上エネルギーが集まるところ」と今まで言われていた言葉が新しい流行のスタイルに翻訳された言葉のようだ。
流行のものだし「自分も得をしたい」という気持ちで「パワースポットめぐり」ブームが起きているようだけど、私もミーハーだから、こういうのは好きだ。
でもパワースポットだけを見てくるのはあまりにもったいない。神社の場合、もともと「他の場所と何か違う、神聖さを感じる」場所が神域として選ばれ、その後はたくさんの人の長年の「想い」がつもり、「何かが生きている場所」であるのに、あちらこちらに神様の息吹が感じられるのに。葉の上に落ちる影すらも他の場所と異なった意味を発してるように感じるのに。ちなみに大國魂神社の場合、私は「亀石」「鶴石」には何にも感じないけれど本殿前と後ろの森には原色の世界というか、清いものを感じる。大事に大事にされてきた場所であるから当たり前ではあると思うけど。
「メキシコ パワースポット」と検索をかけてみたら、「テオティワカン」がすぐに出てきた。ピラミッドがパワースポット?当たり前だ!
かつてメキシコで合気道を教えている田内泉先生は「ピラミッドは大体が山をまねて作るから気も‘山の気’に似ているのだけど、テオティワカンの月のピラミッドは山の気よりも天の気を感じる稀有な場所だ。インディオ達が特別な場所として崇めていたのも道理」とおっしゃっていたのを思い出した。またメキシコの場合、ピラミッドの各階の四方には子供が生贄として埋められた。そしてピラミッドの上では毎日戦士が太陽の神に捧げられていた。こういう特別な場所を簡単に、しごく単純に「パワースポット」と呼んでしまう日本人ってコワイ!
今はいない精霊や神様や人や時代の声を聴き取れれば、制作にももちっと何かがでてくるだろうに。ニブイ自分がひどく残念だ!
写真:大國魂神社の亀石、鶴石、テオティワカン月のピラミッドと月のピラミッドからの眺め。