ベゼクリク石窟
2011年 07月 13日
彼らが日本へ持ち帰ったのは、仏教美術を中心とする壁画であった。彼らが持ち帰った壁画のなかでとりわけ美しいものがある。その名をベゼクリク石窟の壁画という。
中国には、かつての仏教寺院である石窟がたくさん残ってる。岩を削り、壁の四方八方に極彩色の仏の世界を描いたのだ。
「石窟の壁に描かれた壁画を、大谷探検隊はどうやって持ち帰ったの?」というと、壁からひっぺがしたのだった。持ち運びしやすいよう30センチ四方程度に切って。これを中国人は「日本やドイツが盗んで行った」と言う。
大谷探検隊の擁護をすると、当時この土地に仏教徒はほとんどいなかった。とうに仏教は廃れていたのだ。そしてイスラム教徒が多かったために、異教徒(しかも自分たちの先祖ではない、既に滅んだ民族が描いたもの)の宗教美術品を尊ぶ気風が薄かったに違いないし、少なくないお金を地元に払ったということである。
ドイツ人もベゼクリク石窟の絵をベルリンに持ち帰えるのだが(戦争で全て焼けてしまった)、彼らが持ち帰ったのは西洋的な人物が描かれた部分が多く、日本人は仏を描いた部分を多く選んで持ち帰った。
そして現在。石窟には、もはや見るに値する物は、何も無い。残った壁画も農民やイスラム教徒や文革によって徹底的に破壊されてしまった。もし大谷探検隊やドイツが持ち出さなかったらどうなっていたのか?きっと文革の際に全て破壊されていたと私は思う。
そして、東博にこの大谷探検隊がもたらした壁画の一部が残されている。大変美しい菩薩を描いた壁画片だ。当時、世界で一番神秘的で美しい石窟であったベゼクリク壁画。その美しさはあまりにも異様(この異様さは法隆寺の秘仏救世観音にも通じる)!
発展途上国から、世界のリーダーへと成長した大国中国。その中国から「自分たちの物を返せ!」と変換要求がこないか心配。そのことを室長に質問したら「今のところ変換要求はまだありませんが‥」というお返事だった。宗教美術品に関して案外頓着しない中国人だから、今後も忘れたままでいて欲しいもの。
噂では、中国のとある場所に画家が集められ、敦煌の丸コピー作業が進んでいるという。ベゼクリフは大谷大学によってCGで当時の様子が復元されたけど、石窟の模写復元も欲しいもの。