今も昔も日本人は事務仕事が得意!宝簡集:高野山古文書
2011年 07月 22日
さすが専門分野の研究員さん。彼の口から出てくる言葉は、ガイドや通訳の説明とは異なり、彼の血と肉から発せられる。
現在国宝室で展示されているのは、高野山にあった「宝簡集」のうちの1巻きで又の名を「高野山古文書」という。高野山で大事に必死に保存されて来た高野山の土地の権利書や事業運営の実態がわかる書類等をまとめた巻物で全部で3689巻ある。すごいことに平安時代から江戸時代までが網羅されている。「空海と密教美術展」でも「宝簡集:高野山古文書」の他の2巻きが展示中だ。
今でいう会社の中でまわされる決裁や公文書で、決めごとにいろんな人のサインが押されている。面白いのが、一つの決裁をするために前の類似決裁番号を付記するのと同じように、この古文書の中にも前の決めごとを書いた内容をコピーした文章がその決裁の前後に貼られている。書類がたまった時に、一本の巻物(ファイル)に一つの事項についての公文書(決裁)を取り纏めたという訳。昔から日本人は事務方仕事が得意だ!
コンピューターの無かった時代。土地の権利書を無くすと、その権利を失う事に直結した。ましてや時は戦国。今の政治と同じで、為政者がコロコロと変る。その旅に前の公文書を見せて「うちの土地は今までちゃんと公の証明書をもらって来た。だからあなたの代でもサインして」と新しい公文書を発行してもらう必要があった。
今と違って、裁判所は朝廷側と幕府側で勝手に開いていたから、どちらの裁判でも勝てるよう、保証書の有無は唯一無二の証拠品。それでも土地の権利権については20年から100年もかかる訴訟もたいへん多かったとか。へえ〜。
だから万一に備え、保証書である公文書の写しを何枚も書いて、その正当性を保持しようと、どの組織も躍起になった。だからこそこれらの書類は、どこのお寺でもお城でも大事に必死に守られてきたのだ。
それでも根来や延暦寺の書類は信長による焼き討ちで、京都の寺は応仁の乱で、全部燃えてしまう。高野山もまた信長に攻められるところだったが、信長の死によってかろうじて難を逃れたのだ。
そういう訳で、現世離れした高野山にのみかろうじて脈々と受け継がれてきた、唯一無二の貴重な書類。平安から江戸にわたるおよそ800年間の日本の社会の様子がわかる(醍醐寺で資料が発見され、現在解読中らしい)。
公式文書を書く専門家(今でいう公務員・行政書士?)は緻密に、書式にのっとり緻密で完璧でたくさんの立場の人の認め印を必要とする公文書、それじゃ時間とお金かかるしと、責任を取れるトップに一筆さらさらと書いてサインをもらった覚え書き(机にものせずに巻物の状態で書いてもらってるから字が大きくて泳いでいる)。サインをする位の順番なども決めごとがたくさんある。う〜ん面白い!今回展示の宝簡集第2巻の展示は8月20日まで。源頼朝の流麗な花押(サイン)の代表品を見れるチャンスです!(画像左下)