手話な人
2011年 10月 17日
まだ大学生だった頃の話。イタリアに旅行した時、レストランで食べていたら日本人団体がやって来た。私は彼らをまったく気にせず食事を続けていたのだけれど、しばらくして気がついた。日本語が聞こえてこない。「あれ?さっきの日本人達もう帰ったのかな?」と目を上げてみたら、いた。静かな理由が見てわかった。彼らは全員手話で話していたのだ。
通訳らしき女性が、一人一人にメニューと飲み物を聞いて手話で聞きとり、イタリア語で店員に伝えていた。あまりに驚いたので、しばらく様子を見ていたが、全員がとてもうれしそうで楽しそう。そして同じ日本人なのに、(あんなに楽しそうな様子の)彼らの会話の内容が、ちっとも私にはわからず、仲間はずれにされたような寂しい気持ちになった。
手話とイタリア語の通訳をするあのかっこいい女性をみてから、10数年。「いつか手話をやろう」と思って来たが、いまだ手話には手が届いていない。
でも外国語を取得する上で、少ない単語数のみで自分の意志を相手に伝える時に、身振り手振りと感情を込めれば伝わりやすい事、相手の話す内容を想像する事を学んだ(コミュニケーション能力といってもいいと思う)。
今日、東博で耳や話す事が不自由な人とのコミュニケーションを円滑するための研修があった。私たちが普段接する情報の9割が視覚で、1割が聴覚による情報だと言う。でも一番大事な情報は耳からもたらされる事が多いとか。「あぶない!」「助けて下さい!」などの緊急のサインはやはり耳に頼る事が多いということ。
表現者の一人として、「自分の意志を伝える」「相手の意思を理解する」表現の役割と手段を学ぶ事は、非常に勉強になるのだった。