“教科書にのっている作品”
2012年 01月 22日
東博でボランティアとして立っていると、お客さんから「教科書に載っているような有名な作品を見たいのだけど、一カ所にまとまっていないのか」と聞かれた。う〜ん確かに、一カ所に有名な作品がまとまってると便利だけど、東博にある作品全部が教科書に載っているといっていい作品ばかりだからなあ‥‥素直に全部を見て欲しいところ。
私は頭の中で教科書で見た作品について思い出していた。
私は中学高校が女子美術大学附属校だったから、高1から美術史の授業があった。その時使った教科書がこれ。教科書の画像が白黒な分、実際に実物をみると非常に感動した。日本中の美術名品が東博の所蔵なわけではないけれど、東博に管理を委託している作品は多いから、日本美術史にのっている作品のうち半分くらいが現在東博で見れるのではないか。
「‥‥彼女の名前は清原多代、1861年生まれ。当時の東京美術学校(現在の芸大)は男子しか入れなかったが(だから女子だけが通う女子美術大学ができた)、東京美術学校に女子が入れるようになった初期の頃の女学生。お雇い外国人教師ラグーザに彫刻を習い、ラグーザのモデルを務める。日本女性をモデルにした国内最初の彫刻作品として残る。その後、お玉はラグーザと結婚し、ラグーザとともにイタリアに渡り、ラグーザが開いた美術学校で絵を教えた。外国人と結婚し、外国で、しかも美術の本場イタリアで美術を教えた希有な女性であった。皆さんも技術さえあれば、どこに行っても誰と結婚しても、自分の幸せを築けますよ‥‥」
そんな情熱的な妻をラグーザは愛情満ちた視線でかたどった。乳をだしたお玉。きっとラグーザの子供を産んだ後の姿なのだろう。
作者の思いとモデルの思い。または職人の思いと所蔵した人の思い。そんな思い出を作品一つ一つが抱えている。
今、ラグーザのお玉像は、高村光雲の「老猿」と共に東博の18室に(横山大観の派手な金箔の屏風のとは対照的に)ひっそりと飾られている。作者のラグーザと光雲。同じ時期に芸大で教鞭をとり、お互いに知人だったであろう。知り合い同士の作品が隣にならんでいる事の奇跡。こんな有名な作品がひっそりと置かれている事を、はじめて東博を訪ねた人は気がつかないに違いない。
そんな事を考えながら博物館の中を歩くと、本当にあきることがないのだった。ちなみに「教科書にのっている有名な作品を見たい」とよくお客さんに言われるので、いっそどこかに教科書コーナーをつくって、東博に置いてある作品のページに○印をつけといたらいいのではないかと思う。