生きてる絵、死んでる絵
2012年 04月 15日
「この絵、転写(模写)。道理で絵が死んでるわけだ」とは、東博特別展会場で隣のカップルの会話。「絵が死んでる」!絵を描いてる人の言葉です。
昔、私も日本画の友人と「この線が死んでる。この線の勢いが凄い」「この構図と筆遣いは真似できない」、動いている動物を描く時の苦労話、筆の話、顔料の話、温度と絵の関係など話しながら東博で作品を見た(彼女のお気に入りは抱一と等伯だった)。ずいぶんと貴重な時間を彼女とここで過ごしたっけ。
私も「絵が死んでる、生きてる」がわかる。作者の注意が描いてる作品に集中してるか、それとも原画を追う事にいってるか。風景の写生や写真を使って描いている絵もわかる。原画を用意して描いている絵も絵に勢いがない。
で、私は「死んでる絵」が好き。死後硬直の様な勢いの無さ、生命感のなさがたまらない。それに模写作品は、オリジナルの絵の作者への尊敬の念をもって模すから、とても素直で謙虚な気持ちで描かれる。この作品のこともたいへんユニークでいいと思ってる。アンティーク人形を好きな人はどっちなのだろう?
勉強会の講評もすごかった。
「手抜き過ぎじゃない。写真と同じ。」
「あなたが、うまいのはわかった!だから他のを見せてちょうだい。」
「あなた絵はいいけど、後処理悪いよ。もっとピン!ってやろうよ。」
「”綺麗に描こう”という意識が強すぎて面白くない。作者の感動を伝えるのが、絵の醍醐味なんじゃないの?」
「あるものをそのまま描いたって、つまんないわよ。作者が感動したものを描くのが、一番。やってごらんなさいよ。」
絵をもってそのまま帰ろうかと思った(笑)。言う方も本気だけど、講評を受ける方も自信がある人ばかりだから冷静にそんな(なかりきつい)言葉を(傷つかずに)聞いている。すっご〜い!
で、びくびくしながら私も講評を受けた。貴重な意見をもらった。刺激になった一日だったのでした。神様もしっかりと己の作った生き生きとした造形物を見せびらかしてました。写真、東博の庭園の桜。この木をそのまま描いてもいい絵になる(ほんとの絵描きは本物以上に本物を描くのですが)!