下村観山「弱法師」
2012年 12月 19日
能の小鼓をうつ家に生まれた下村観山。能や狂言の演目にも詳しく、この「弱法師」の盲目の乞食:俊徳丸を何度か描いている。
画面は、父親に捨てられ、盲目になり、乞食となった俊徳丸が、梅の咲く春のお彼岸に、先祖の墓がある四天王寺へ詣でる。そこで父親と再会し、彼の一番の望みであった「家族と家」を手に入れた喜びに、狂ったように踊るというシーン。
もともと、お彼岸供養は、太陽が真西に沈む春分・秋分の日に、西方浄土を想像しご先祖を供養する習慣。高台にある四天王寺からは、西を見下ろすと海が見えたそうで、人気のお彼岸スポットだったようだ。
盲目の乞食:俊徳丸。盲目のために杖を持ち、草履はやぶれ、歯は真っ黒。爪は汚く、髪は草で束ねている。盲目の俊徳丸が、人や物にぶつかりながら彷徨う姿を、人々は「ほらご覧よ、弱々しい法師が通るよ」とあざけ笑った。
そんな俊徳丸の姿を、画家:下村観山は、他のことなど目に入らず、盲目の彼にも見える太陽の光りをただ一途に拝む「恍惚の人」として描く。この俊徳丸の姿は、ただひたすらに芸術表現(この絵における太陽)をめざしてやまない観山自身の姿であろう(現に俊徳丸のモデルは観山の妹)。俊徳丸の顔は栄養失調のため白いけれども、西日に照らされ、太陽の熱と彼自身の内面の喜びで熱く火照っているはずだ。
この絵からは、梅の香りが立ち上ってくるようだ。盲目の俊徳丸にとって、光りや匂いは、まわりの状況をしる重要な手だて。画面と俊徳丸をあたたかく包み込むかのような梅の木は、俊徳丸にとっての美しい希望、観山にとってのあこがれてやまない芸術世界そのものであるのだと私は思う。
観山という男、よほど絵を描くことを愛していた。この一瞬の刹那を、きっちりした構成力で100年後の人々とうならせるのだから!