「獣の奏者」がすごい
2009年 12月 10日
ところがどうだ。ここのところのこの物語の渦巻く勢いは。それは不安と絶望が渦巻く中にきらめく希望(オープニング曲や番組の中でも繰り返して見られる王獣が空を飛翔する様子に象徴される)があることによって、より影の部分が増長されている。かつて、主人公の少女が自害するための小刀を懐にもっているアニメなんてあっただろうか?ガンダムはリアルな戦争を描いて話題になったが、この獣の奏者は、矛盾や軋轢を抱えたひとつの王国が二手に分かれ、利用する者と、利用される者がそれぞれの目的を持って戦いに進む、高揚感と不安と悲しみを見事なまでに描いている。また、元ちとせのオープニング曲が異様に力強くていい。
ネットで調べてみると、原作者は上橋菜穂子という。児童文学の賞を片っ端から受賞し、かつ民俗学を大学で教えている女性。この「獣の奏者エリン」は、NHK教育テレビ放送50周年を記念して「21世の名作アニメを」と依頼され原作・脚本を書いたらしい。
「決して人には懐かぬ獣と、竪琴をもった少女。」
このビジョンが作者の脳裏に浮かんで生まれた物語、それが「獣の奏者」。
隣で観ていた母が「ナウシカに似てるね」といったけど、確かに何か通じるものがる。
王蟲(オーム)とナウシカ、王獣とエリン。
それはまるで神話の世界が伝える獅子をなだめる乙女、もしくは一角獣をなだめる乙女。古くから人類に伝わるイメージだ。すなわち、「力・権力」をもつ者に対し、何かしら他の者と異なる能力を持った市井の非力な者が、制する。
宮崎駿が描く世界が、大事な何かを守るために相手を殺すことも厭わない能動的な主人公と「破壊と再生(再生の手立ては愛)」なら、上橋菜穂子が描く世界は、同じく大事な何かを守るために行動するけれど必要となれば自分が死ぬことで結論を下す、沈静な主人公と「意思と調和(調和の手立てはそれぞれの個人の正しい判断力、植え付けられたのではない意思決定)」。共通点は「生きること」。
47話でこんなシーンがあった。
ずっと自分のことを影で見守っていた、母の婚約者ソニンであった男がエリンを「お前がやろうとしていることは間違っている」と教え諭すシーン。主人公エリンははっきりとこう言う。「あなたはずっと私を見守っていたという。母が殺された時も。あなたはただ見ていただけですか?」母を助け出そうとしなかった男を責める口調だ。この主人公の意思が、行動が王国の運命を大きく変えてゆく。
今日48話が放送された。再来週50話で終了するというので、あと2話しっかりみなくちゃ!個展が終わったら、この上橋菜穂子の作品を本で読みたいと思う。
「西の魔女は死んだ」「裏庭」の梨木里香にしても、この上橋菜穂子にしても、今児童文学があつい。ハリーポッターのように甘いだけではない、竹宮恵子のように残虐で背徳的なだけでもない、宮崎駿のように破壊と力だけでもない、等身大であり「人間とは何か、何をすることで人間をなるのか」を描いた作品群。そこには子供の世界にあるむき出しの暴力と無力さ、そして力強い希望と清らかな想像力がある。
小学6年の1月頃、「中学受験が終わったら自分へのご褒美にこの美しい本(グインサーガ)を読もう」と思ったけど(そしてそれは実現されたけど)、グインの作者・栗本薫はすでにいない。定期的に買いたい本がなくなってしまった。だから「個展が終わったら、かたっぱしから上橋菜穂子を読もう!」そう思える本があるということがとてもうれしい。