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世界の終わりの日のようでした

2月11日午後2時45分頃、私はバス停にいました。

「あれ?地震?」と思うような小さい揺れが最初あって、まわりの人は地震に気がつかないようだったし、車も車道を走っていました。小さい揺れがずいぶん続いた後、大きな横揺れが起き、電信柱は左右に30度ほど、電気スタンドは60度くらい左右に揺れていました。各建物から人が出てきて、ぼうぜんと回りの光景を眺めていました。この頃には車も走行をやめていました。バラッと何か空から落ちてきて隣のバスを待っている人の1メートル程後ろに落ちました。見ると、それは隣の建物の壁を覆うタイルでした。

揺れは横に大きく長く、自分の目が信じられなくて「これからどうなっちゃうんだろう?」と思いました。気持ちが悪くなるほどの揺れでした。

地震がやむと、嘘のようにすぐ車の走行が始まり、バスもすぐ来たのでのりこむと、バスの中の人達は冷静で、先ほどの地震が本当にあったものか現実味を欠いていました。駅に到着すると案の定電車はとまり、多くの人に溢れていました。携帯電話はつながらないらしく、多くの人が公衆電話に並んでいました。

自分も公衆電話に並んで、自宅にかけ、両親の安全を確認してから電車に乗ったのですが、線路の安全確認が終了するまで電車は発車できない、というアナウンスがあり、何度も大きな余震がありました。ホームの蛍光灯や掲示物は大きくゆれ、駅員が「ホームは危険です。電車の中の方が安全です。電車の中にお乗りください」とアナウンスしている間も激しい揺れがありました。

そのまま30分が経過し、45分が経過したころ、首都圏全部の電車が止まっていること、動き出すには相当の時間がかかることを駅員が告げ、私はそのまま家に戻ることにしました。

家路に戻るまでの景色は地震前と何も変わっておらず「あれだけの地震で何ともないなんてさすが日本だ」と思いました。しかしマンションなどの建物からは住民が外に待機していて、学校の集団下校がはじまっていました。全員防災ずきんをかぶっていました。

うちの近所では2件の屋根の瓦がかなり落ちており、被害の深刻さを伺わせました。道中他の人が話しているのが聞こえたところ、震源地が宮城であること震度8.8の国内史上記録の大地震であることがわかりました。

家に帰ると、ガラスなどは割れていなかったものの、様々なものが床に散乱し、風呂場の壁の漆喰がはがれていました。

家に帰ってテレビをみると、東北地域で1000人以上の方が津波が原因で亡くなったことが分かりました。昨日からずっと、今もすべてのチャンネルで普通の番組とCMの放送を取りやめ、災害ニュースを流しています。夕べも大きな余震が5回以上あり、昼も続きました。今も2分ほど揺れています。でもずいぶん減りました。昨日はガスが止まっていましたが、今日は使えますし、電車も運行を始めました。

福島の原発が危険な状態になり、今日午後3時半ごろ、原発のひとつが爆発し、核爆発が起きたのかと心配でずっとテレビを見ていました。世界の終わりの日のようでした。

25年前に起きたチェルノブイリを思い出していました。当時私は小学5年生で、担任の先生から「爆発を起こした原子力は広島の原子力爆弾の400倍で、日本にも放射能の雨が降るだろう。放射能の影響は作物や海に長い間残り、私も君達も今までと同じようには暮らしていけないだろう。君達は親御さんの言うことを良く聞いて、少しでも家族と一緒に時間をすごしなさい。」と言われた「世界の終わり」を宣言された日のことを思い出しました。

夜9時ごろ政府からの説明で核格納庫はまだ破裂していない、放射能は漏れていないという説明があり、今だいぶ安堵してこのメールを書いています。死者はおそらく2000人以上にはなると思いますが、とりあえず日本壊滅ということはなさそうです。

原発はまだ危険な状態にはあるものの、放射能汚染はされていないということ。たぶん明日からは徐々に各地で復興作業が始まると思います。

とりいそぎ現状にて
名嘉真麻希
by office-maki | 2011-03-11 14:46 | 日記 | Comments(0)

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