芸術家
2011年 09月 01日
昨日、二科会を見てきた。震災関連をテーマにした作品が多だろうと思っていた。画家たちがどう調理するのか興味があったが、やはり多かった。震災から半年がたち、震災そのものよりも亡くなった人たちに対する「鎮魂・再生」をテーマにした作品が多かった。
内閣総理大臣賞を受賞された中原史雄氏の作品は本当に素晴らしかった。画面下手には多くの人が後ろ姿てたっている。おそらく亡くなった人たちの墓標を意味している。画面中央には死体とおぼしき人の足。そのまた中央には椿の花。ぼとりと命の花を落としてしまった人々を表しているのだろう。上部中央には抽象的な四角い箱。原発か?放射線の代わりに桜の花びらが画面の中を漂う。普段元気な作品を描いている中原氏だけど、今年の作品は鎮魂を表した作品だった。
今年、制作するにあたり心に留めている事が合った。それは「単純明快さ」。昨年、二科会会場で私の作品を見た知人から「何を描いているか分からない。あれなんだったの?」といわれ、ひどく傷ついたからだ。
が、二科会は半抽象作品が多い。作品には作家の世界がほのにじめば良いのだった。家に戻り、早速標識に書き足した。「理屈を描くな 世界を作れ」
二科展会場の片隅で「作家のアトリエ訪問」というパネル展示があり、5人ほどの作家さんのアトリエを紹介していた。こちらは二科会理事長の織田広喜氏。96歳だという氏は、初日には車いすで300号作品の前に鎮座していた。
絵の具で汚れた床と服、パレット代わりに合っているテーブルには筆洗壺とオイル入れの瓶が油絵の具で机と一体化している。足下には数えきれないほどのキャンバス。他の作家さんのアトリエは、スチール棚一個が、まるまる数百冊ものスケッチブックで埋まっていた。
画家ではなく、芸術家。
二科会は芸術家集団だ!
この芸術家という単語。昨今では耳にしないし、私も口にしない。この不景気の世の中で、社会にする役に立つ人だけが求められているからだ。でも芸術家はいる。この世界と社会と対峙している人々が、まぎれもなく存在している。その思いはたいそう痛快で、気持ちがよかった。