東博の仏像が好き(2012年9月23日)
2012年 09月 23日
お客さんたちのノリもよく、小学生たちは私の手振りを真似したり、大人達は笑ったりうなずいたりしてくれた。以下、心に残った作品の個人的感想です(^_^)♪
菩薩坐像(平安時代9世紀、下村観山が所蔵した作品)
童子のようなお顔の、この美しい仏様は、下村観山が所蔵した仏像。下村観山というと東京美術学校の第1期生(あとで調べてみたら私は芸大の107期生みたい)。
卒業後、美術学校の助教授となるが、岡倉天心、大観、菱田春草らとともに辞職、日本美術院の創立に関わった。
この仏像がいつ観山の手元に渡ったのかわからない。観山の作品のいくつかには菩薩が登場するが、観山23歳の時に描いた『仏誕』の菩薩が、この仏像と面影が似ている気がする。
きっと観山は「自分の作品もこの仏像のように1000年残って欲しい。1000年を乗り越える作品を作るにはどうしたらいいか」と思いながらこの像を見たのではないか、と絵描きの私は思う。そう思いついた時に今回のガイドのための勉強はすとんと落ちて、身に付いた気がしたのだった。
この菩薩像、指先や衣の表現が本当に美しくって、画家が所蔵していたと聞くと納得してしまう!
東博にも下村観山の作品は10数点所蔵されてるし、大きな博物館美術館にも数十点観山の作品が所蔵されているから、1000年という時を乗り越えてゆくだろう。観山は今頃天国でにやけてる事だろうなあ!
天王立像(12世紀)
腕がないけれど、鎧を着ている事から天王のどれかという事がわかる。きれいなこのS字曲線!腰のひねりと動き。むしろ腕がないトルソー像であることが美しい。
この天王立像を見て思い出したのが、バチカン美術館のトルソーやルーブル美術館の勝利の女神ニケ。
作品の美しさは、作られた当時の姿だけではない。
時を経た偶然の美しさもまた作品に与えられた美しさや個性であることを、これらの作品は教えてくれる。もちろんガイドでは、ここまで話さないが♪
十一面観音菩薩立像(平安時代 10~11世紀 薬師寺)
この像は、185㎝もある。一木のヒノキから彫り出している。
この十一面観音を見て思い出したのが、ミケランジェロだった。ミケランジェロ。15〜16世紀にヨーロッパで活躍したルネッサンスの巨匠。
ミケランジェロは、これから彫り出す石を見ると、彫るべき彫刻の姿が石の中に見えたという。
ミケランジェロは自分に一番近い部分から彫り出していったから、時には後ろの方が足らずに、手前が大きく奥の方がパーツが小さい作品をいくつも作っているのだけど、この話はすごくわかる。私にも描くべき絵が見えてくる事があるから。
この十一面観音はミケランジェロよりも500年ほど前に彫られた仏像。ミケランジェロがこの仏像をもし見てたら「なんて美しいんだ!」と大感動したにちがいない。
仏師はとうにこの世を去って1000年あまり。なのに仏像に今も満ちる、この生気。この仏像を彫った仏師にも、この仏の姿が木を彫り出す前に見えていたのだろう。
人々を救い出すために、前へ一歩踏み出す足。人々を救済するために、長くのびた腕。そして圧巻のこの表情!
この仏像には、胎内に鏡と5種類の穀物が入っていた。鏡を仏の霊として、5種類の穀物は「五穀豊穣」を願ってこの十一面観音の中に納めたらしい。
あらためて仏像をつくる仏師達の真剣さと、人々の祈りについて、私も表現者の1人として想いを馳せたのだった。本当に身についた勉強でした〜(^_^)。
脱線だが、この十一面観音の仏師とミケランジェロの間には500年の差があり、私はちょうどミケランジェロの500年後に生まれている。いくつかの点が結びつくと線が生まれる、自分とのつながりが見える事が面白い。